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FMICS-SD 2006(平成18)年10月26日

『近代日本の大学人に見る世界認識』
終章「満洲移住・大蔵公望の経綸と宇垣一成」

主題 宇垣一成「この形勢は外国に関係ない間はどうでも良いが」の現在での意味

池田 憲彦

宇垣と大蔵の国事における同志関係

 二人は、大蔵の父君と宇垣の縁があったところから始まる。旧友との縁ではあるものの、二人が国難打開の戦略と治政観及び世界認識で共鳴しあっているところが人の機縁を感じる。また、大蔵が永田に深く信頼されているところは、基本部分で共有するものがあったからだ。私見によれば世界認識と治政観である。民意をどのように受け止めるかということと、軍部の台頭への憂慮である。

■ 問題の所在

@ 主題の発言は、宇垣に大命降下したものの、軍部の反対に遭って辞退せざるを得なくなった際に、大蔵に漏らした述懐であり、大蔵も同感した。宇垣の日記と大蔵の日記の双方に記されている。現在の史学で言われている「日本ファシズム」は、ここから始まったと見ていい。宇垣が首相になっていたら、軍部の制御と軍縮による軍の近代化を一層推進したであろう。天皇に抗命した軍部は、この時点で国賊になった。二人が憂慮したのは、軍部の有した世界認識の浅さもあるが、こうしたルール無視の態度であろう。

A 満蒙開拓青少年義勇軍は、宇垣内閣の成立とセットになっていたものと推察される。大蔵によるその真意は、資料として収録してある『大陸に輝く』である。日本列島とは別に「大陸日本」を作る構想の担い手にするというところにある。実際は内閣が流産したことによって片肺の進行になった。国際認識としては、ソ連の台頭、とりわけシベリア開発の担い手にヨーロッパ・ロシアからの青年移住の促進に刺激されていた模様である。

B 二人はソ連認識で共有するものが多かったと推察される。大蔵は、独自のソ連研究機関を有していた。二桁のメンバーがいたところを見ると、相当の資金を必要としていた。スポンサーは何か。日記からも不明である。近衛文麿も関係していた模様である。

 そこでゾルゲ事件の露見は衝撃であったのは、大蔵の日記で当該日付には何も記されていないところから推察される。抹消して墓場に持参した。在米経験があるところから、占領中にGHQとの意思疎通がソ連問題であったと思われるが、それも不明。

■ 暫定的なまとめ/植民政策を昭和日本サバイバルの最優先課題にして実行

 先回の永雄のメモとこの小見出しは同じである。推進した民間団体である満洲移住協会での運営方針を巡って、大蔵理事長と永雄常務理事の関係はおかしくなるが、大局では元来は同志関係にあった。前述のように、片肺での展開である。当初の意図とは基本的に制約のあるところでの発足であった。

 結果的にはぐじゃぐじゃになり、敗戦での悲惨な事態になった。開拓団や義勇軍の犠牲、その非業の死や残留孤児などの貴重な史実を、経験化しているのか、臭い物には蓋をしていないか。形を変えて、また悲劇を繰り返えすことにならないか。その反省から、新たな展開を試みた戦後の構想は、日本人だけでなく他者と一緒に修学するというものであった。